好きな言葉に「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん」というのがあります
(先ほどネットで調べると孟子の言葉らしいですね)。
私自身は「自分の言動が誠実であるなら堂々としていれば良い」くらいに解釈しています。
2019/03/24
1.かなり前の話ですが、あるテレビ番組の質問コーナーで
「なぜカメは産卵の時に泣いているのか」という質問が出ました。
「痛いから」「辛いから」などの答えが出る中、とあるお笑い芸人さんの回答は次のようなものでした。
「皆さんは産卵しているカメがメスだと思っているでしょう。
でも、実はオスなんです。
もし、オスである俺たちが、子どもを産まなくてはいけない立場に立たされたらどうですか?
泣きたくなりませんか?あの涙はその涙なんです!」
2.もちろん、この話はお笑いの中での話です。
カメが産卵で涙を流す本当の理由は知りません。
が、「太郎さん、来月の当番はあなたです。元気な子どもを産んで下さいね!」
などと役場から内容証明かなんかが届いたらびっくりしますし、泣きたくなるかも知れません(^_^;)
医療が進歩した現在でも激痛を伴い、母親が(子どもも)命を落とす可能性がある「出産」。
「案ずるより産むが易し」という言葉もありますが、それでもやはり出産は一大事です。
そんな、とてつもなく大変なことをやる自信は私にはありません。
でも、考えてみると、出産を控えた女性は「子どもを産む自信」があるのでしょうか?
自信があるから「出産しよう」と思ったのでしょうか?
「子どもが欲しい」と願う女性は、出産する自信が有るとか無いとかを気にしているでしょうか?
3.自己紹介の中で「自分に自信が無いわけではない」と書いてから、妙にこの表現が気になってしまい、
改めて「自信」について考えてみたらこんな文章になってしまいました。
それほど自信満々で生きてきたわけではありません。
ただ、曲がりなりにも(もうすぐ)48年間やってこれたのだから、このあともなんとかなるだろう、くらいには思っています。
そうは言っても、自信を無くしてしまうようなことが今でも頻繁にあります。
その時は、ただひたすら「自分が誠実であったかどうか」を省みるようにしています。
好きな言葉に「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん」というのがあります
(先ほどネットで調べると孟子の言葉らしいですね)。
私自身は「自分の言動が誠実であるなら堂々としていれば良い」くらいに解釈しています。
まあ、結局「誠実」であったかどうか、という問題は残ります。
困難なことに直面したとき、誠実に事に当たるしか方法は無い、と私は思っています。
表題の問いに対しては「自信に根拠は必要ない。でも誠実だったかどうかは気にした方が良い」くらいが今の私の答えです。
2019/03/23
ブログをご覧いただきありがとうございます。
初めての投稿なので、簡単に自己紹介します。
昭和46年当別町生まれ、今年48歳の年男。
地元当別の小学校・中学校を卒業し、札幌の高校・大学を卒業したまでは良かったのですが
そのあとしばらく浪人生活を送っておりました(^_^;)
「このままではイカン」と思い、東京でサラリーマンとして数年勤務したあと
30代後半で地元に戻り、家業であるこの会社を継ぐことになりました。
これから、このブログにはいろいろな事を書くつもりです。
会社ホームページにリンクしているので、商売に絡んだ話が多くなると思いますが、
特にこだわることなく自由に書きたいと思っています。
自己紹介で少し触れたように、私のこれまでの人生は決して褒められるようなものではありません。
自分に自信が無いわけではないのですが、自分が絶対に正しいとは思っていません。
どこかで発言を求められたりすると、「ひょっとしたら、俺、間違っているかも知れない」
という気持ちを常に持ちながら話をしているつもりです。
ということで、ここに書く際にも、いつもそんな気持ちを持ちながら書くことになるはずです。
気軽に書きます。なので、気軽に読んでください。